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音楽資料室中世ルネサンスバロック古典・ロマン派近現代解説項目

ルネサンス

時代背景
ルネサンス音楽概観
作曲者とその作品
Dufay
  生涯
  音楽史上の位置
  Nuper rosarum flores
Ockeghem
  生涯
  音楽史上の位置
  Missa Pro Defunctis (Requiem)
Josquin des Prez
  生涯
  音楽史上の位置
  La deploration sur la mort de Johannes Ockeghem
  Missa Pange Lingua
Palestrina
  生涯
  音楽史上の位置
  Dum Complerentur
Lassus
  生涯
  音楽史上の位置
  Pater Abraham
Byrd
  生涯
  音楽史上の位置
  Ne irascaris Domine
Victoria
  生涯
  音楽史上の位置
  O magnum mysterium

ルネサンス音楽概観1〜フランドル地方

最終更新日: 2002年3月23日
[ルネサンス]->[音楽概観1]

1. ルネサンス音楽の誕生

ルネサンス音楽の創成を見る上で重要な要素は、百年戦争とフランドル地方の繁栄である。百年戦争が終結するのは1453年のことであるが、それまでイギリスは大陸にも領地を持っており、ダンスタブルらのように大陸に渡って活動する音楽家もいた。これによってそれまでイギリス国内で独自に発展していた和声法が大陸にも上陸し、大きな影響を与えることになる。

その頃、他国の戦禍をよそにフランスの東にはブルゴーニュ公国が経済的にも文化的にも栄えていた。特に毛織物業等で繁栄していたフランドル地方を併合したことでその国力は増し、音楽も著しく発展する。またフランドル地方の音楽家たちは、教会音楽の本場イタリアからも招かれて活躍し、晩年にはフランドルに戻って後進の指導に当たったために、イタリアの音楽の要素もフランドル地方に持ち込まれていった。

これによってルネサンス音楽を用意する舞台が整った。中世の時代にイギリス、フランス、イタリアそれぞれで形成していた独自の音楽の要素すべてがフランドル地方に終結してきたのである。この偉大な統一を行なったのは、ブルゴーニュ楽派と呼ばれる音楽家たちであり、その中でも特に重要なのがデュファイである。1436年に作曲されたモテット「ばらの花が先頃」はルネサンス音楽の幕開けを告げる重要な作品といえる。彼によってそれまでの音楽は一つにまとめられ、新たな方向づけをされて次の世代の音楽家に引き継がれていく。

2. ブルゴーニュ楽派からフランドル楽派へ

やがてフランドル地方はブルゴーニュ公国領からハプスブルク家領となるが、経済的な繁栄もそのままに音楽は引き続き発展をとげ続ける。この時代以降のフランドル出身の音楽家たちのことを総称してフランドル楽派と呼ぶ。ブルゴーニュ楽派の音楽には、まだ中世音楽の要素が多く残っていたが、フランドル楽派はその音楽語法が確立するにつれ、音楽の均整と人間的な表現のバランスのとれたルネサンス時代にふさわしい音楽を形成していった。

その創成期の重要な作曲家にオケゲムがいる。オケゲムの時代には、対位法への指向が進み、バス声部が加えられることで、その後の基礎が固められる。そしてその流れを受け継いだジョスカン・デ・プレの時代に確立した通模倣様式はその後の全ヨーロッパの音楽の共通の語法となり、ルネサンス音楽はここに完成を向かえることになる。

以後フランドル楽派は全ヨーロッパに音楽を輩出し続ける。例えばイザークはドイツに、ヴィラールトやデ・ローレはイタリアに、ブリューメルはフランスに、ゴンベールはスペインに渡り、その後の各国の音楽の発展に大きな影響を与えた。フランドル地方を中心としたルネサンス音楽の構図はこのようにしてできあがった。

このようなフランドル地方の音楽の発展は、王侯と市民たちの保護の上に成り立っていた。しかし1555年にスペイン王のフェリペ2世が統治者となってからは、その状況にも変化が出てくる。フェリペはフランドル地方の自由と特権を剥奪し、カルヴァン派を排してカトリックを強制した。その不満からフランドル地方は独立戦争を起こす。そのためラッススらの音楽家たちは国外へと去り、後進の指導のために戻るということもなくなった。こうして150年の永きに渡って繁栄したフランドル楽派の栄光は終末のときを迎えることになったのである。

(宮内)

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