Richard Strauss(1864-1949)
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[R.Strauss]->[生涯] |
1864年、ミュンヘンに生まれる。1869-74年にはピアノの教育を受け、 1870年頃には作曲を始めていたらしい。1881年に交響曲第1番を初演、 翌年にはヴィーンへ演奏旅行を行い、その名を広めた。1885年には マイニンゲン管弦楽団の指揮者、1886年にはミュンヘン宮廷歌劇場の第3指揮者、 1889年にはヴァイマール宮廷劇場の第2指揮者、1894年にミュンヘン 宮廷歌劇場の第2指揮者、1896年には同第1指揮者にそれぞれ就任した後、 1898年にベルリン宮廷歌劇場の第1楽長に就任し、以後1918年まで この地位でオペラの上演を手掛ける。この時代に「サロメ」「ばらの騎士」と いったオペラの作曲が行われている。1919年にはヴィーン国立歌劇場指揮者に 就任するが1924年には辞任し、以後は一時期ナチスによって音楽局の総裁に 選ばれたとき意外には固定した職に付くことはなく、創作を続けながら 世界各地で客演指揮を行った。第2次大戦後の1947年には健康を害し、 1949年に心臓障害のためバイエルンに没した。