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中世音楽概観2 〜ノートルダム楽派以降のフランス中世音楽最終更新日:
2002年3月31日
ノートルダム楽派以降の中世音楽の流れ
ノートルダム楽派とは1200年前後にパリのノートルダム寺院で展開された 音楽様式で、中心となる作曲家としてレオニヌス、 ペロティヌス という 2人があげられる。その音楽の特徴は、グレゴリオ聖歌を長く引き延ばして その上に新たな細かい旋律を付して作られていることにあり、 この曲種はオルガヌムと呼ばれる。オルガヌムそのものは ノートルダム楽派以前から作られていたが、この時代には声部も増え、 記譜法も確立し、曲の構造も堅固なものとなっていった。 ノートルダム楽派によって発展した多声音楽の様式は、やがて 世俗音楽にも影響を与え、アルス・アンティクヮの時代を迎える。 アダン・ド・ラ・アルやクルーチェという作曲家達は、ノートルダム楽派時代の 作曲技法を取り入れながら、より小規模で細密画のような魅力を持つ モテトゥスと呼ばれる曲種を発展させた。これによって世俗曲の分野にも 高度なポリフォニー音楽が発展していく。 しかし、アルス・アンティクヮ時代の末期には、それまでの記譜法が 作曲家達の創造したい音楽に対応仕切れないという事態が生じることになった。 そこでヴィトリは1320年に「アルス・ノヴァ」という題名の論文を発表し、 新しい記譜法を提案している。「アルス・ノヴァ」自身は、記譜法に関する 論文にすぎないが、これが発表されると大きな賛否両論が巻き上がったという。 それはそこで提案されている記譜法を必要とするほど、複雑なリズムや予期できない 展開を求めたがる作曲者の美意識に対する批判があったということらしい。 つまり「アルス・ノヴァ」は直接には記譜法を論じた論文ではあるが、 当時の新進の作曲家達の美意識、音楽様式を反映するものとしても考えられ、 この時代の音楽様式としてアルス・ノヴァという用語が用いられることとなった。 アルス・ノヴァの代表的な作曲家としてはヴィトリ、 マショーの名があげられる。 その後、 マショー の死後にはその弟子達がさらにその様式を展開し、 今日聞いても非常にリズムの混み入った非常に複雑な作品を作曲していった。 この時代の音楽はアルス・スブティリオールの名で知られている。 ここに中世音楽理論に基づく高度に知的な作曲技法は頂点を迎えたが、 同時にそれは中世音楽の終わりを意味する物でもあったといえる。 15世紀半ば、時はルネサンス。合理的な精神と人間性の解放が 求められている時代であり、音楽もその意識を反映して大きな様式の変化が 起ころうとしていた。 Copyright © 2002 M.A.B. Soloists, All Rights
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