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1543年頃リンカンに生まれ、ロンドンで タリス に 学んだと言われる。1563年から72年までリンカン大聖堂のオルガニストをつとめ、 1572年にはエリザベス1世の宮廷礼拝堂のメンバーに加わる。 エリザベス1世からは絶大な信頼を寄せられ、1575年にはタリスとともに 楽譜出版販売の特許を受けることになる。1585年のタリスの死後、 この独占権はバード一人のものとなり、以後合唱曲だけでなく鍵盤曲、 ヴィオール曲などつぎつぎに自作を出版した。1623年にストンドンで没する。
イギリスはルネサンス以前には音楽先進国であったが、ばら戦争という 内乱による国の疲弊のため、15世紀の後半には フランドル に 大きく遅れ、低迷の時代を向かえていた。16世紀に入って タイ、 タリスらの作曲家の登場によって徐々に回復されてはきたものの、16世紀 後半になっても大陸の音楽のレベルに追いつくまでには至ってはいなかった。このイギリスの音楽を大陸の音楽と比較できるほどのレベルにまで高めたのが バードである。彼の音楽には技法的には際立って新しいものはなく大陸の 通模倣様式 に 依っているが、その旋律は叙情的で美しくそのデリケートな絡みは イギリスの音楽にふさわしい。
またバードの作品は大陸のものと比較するとややホモフォニーの傾向が強いが、 これはイギリスの伝統的な手法に基づいている。そこで聴かれる長三和音には イタリアの曲のような華やかさはあまりなく、柔らかく暖かい響きとして 鳴り響く。これもイギリス人が好みとするところであろう。
バードの作品はこのように大陸とイギリスの書法の融合によって 作られているが、そこに彼独自の構成力が加わりスケールの大きいものに 仕上がっている。その作品はイギリス独自のものでありながら、今や大陸の パレストリーナ、 ビクトリア に比しても決して劣るものでは なくなった。彼が存命中から「イギリス最大の音楽家」と 賞賛されていたのも、また当然といえよう。
(宮内)