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1548年頃、中央スペインのアビラに生まれる。1565年にフェリペ2世の奨学金を 受けてローマに留学、イエズス会のコレジウム・ジェルマニクムに入る。 1571年にはコレジウム・ロマーヌムの楽長に就任するが、そこで先任者の パレストリーナに師事した可能性が高い。1573年には コレジウム・ジェルマニクムの楽長に就任、1575年には聖職者となり、 1583年に帰国。以後、マドリッドのデスカルサス・レアレス修道院の司祭、 楽長、オルガン奏者として活躍し、1611年8月27日に没するまでその地位にとどまった。
16世紀のスペイン音楽は、器楽音楽と世俗音楽に独自の発展を見せているが、 宗教曲には フランドル や イタリアからの影響が強い傾向が伺える。その中にあってビクトリアは スペイン的な情熱と パレストリーナ 風の ポリフォニー音楽を結び付け、16世紀のスペイン宗教音楽の頂点を極めた。ビクトリアの対位法処理は非常に熟練したものでありながら、それ自体を 追及するということはなく、内心の情熱をポリフォニーの綾の中に 織り込むことにその主眼が置かれている。歌詞の内容に対してその表出に ふさわしいモチーフが選ばれ、その組み合わせによって音楽が構成されており、 その意味でイタリアの マドリガーレ とも共通点を持っているといえる。
しかしマドリガーレがよく行った 音画法 は あまり頻繁には用いられず、 歌詞の内容に合わせて大まかな感情の雰囲気を作り出す傾向が強い。 これは、同時代のスペインの作曲家に共通した特徴である。
ビクトリアの音楽は、この独特のポリフォニー技法に加えて、不協和音等を 大胆に用いることで情熱的な音のドラマを展開しており、 その劇的な力強さからは宗教的熱情がダイレクトに感じられてくる。 まさにスペインならではの音楽といえるだろう。
(宮内)