ラッススの音楽が持つ劇性の源は言葉と歌詞の結び付きである。 ここではそれがこの曲の中でどう実現されているかを、 いくつかの例をあげて追ってみることにする。
[譜例1]
[譜例2]
まず歌詞の内容を音響によって表現する方法。この曲では、例えば 「炎 flamma」という言葉を[譜例1]のような音型で表している。 この音型をタイミングをずらして各声部で模倣しあうことで、 音楽は実際に炎が立ち昇っている情景を連想させるものとなっている。 また「不幸 mala」という言葉は[譜例2]にあげたように平行4度用いて 表現されているが、これによってこの言葉は前後から際立って聞こえ、 その意味も印象づけられることになる。
[譜例3]
そして言葉の抑揚を活かした方法。[譜例3]にあげた 「憐れみたまえ miserere mei」の旋律は、語るリズムと抑揚そのままを 記譜した程度のものである。これは モノディ様式 に 通ずるものであり、これによってこの部分は曲の主人公の懇願を そのまま見せる音楽になっている。
[譜例4]
また歌詞に関する技法以外のラッススの特徴として、予想を裏切る和声進行が ある。この曲の第1部のラストでも[譜例4]に示したように予期しない中間終止が 見られるが、これは聖書の切れ目と曲の切れ目をあえてずらしたことと 相まって次のアブラハムの登場をより印象づける効果を生んでいる。
ラッススの音楽はこれら多くの技法を駆使して、歌詞の内容を音楽化していく。 そしてあたかも我々の目の前で歌詞の内容が演じられているかのような ラッススならではの音楽が生まれるのである。
この曲はラッススらしい半音階が随所に現われるため、純正和音で 演奏するのには多くの困難がある。しかし、注意深く見てみると 中全音律が破綻する(wolfが現われる)ような半音階は曲中に一度も 現われないことが分かる。これは当時一般的であった中全音律を意識して 作曲が行なわれていたからではないかと感じられる。随所に現われる長三和音では、純正三度による「明るくない長三和音」が 欲しいところであるので、半音階は多いとはいえ平均律ではなく、 ぜひとも中全音律で演奏したい曲である。
この曲で随所に用いられる 音画法 は、 音楽修辞学での Hypotyposis にあたる。 この手法はルネサンスの頃からバロック、古典派を経て、初期ロマン派である シューベルト の時代まで一般的に用いられている。曲中の主だった音画的表現を以下にまとめる。
28小節: Cantus, Tenor1
``in'' 水に指を入れる動作を表わす下降音型
29小節: Cantus``aquam'' 指を入れた水に起こった波を表わす音型
43〜47小節: 全パート``flamma'' 炎を表わす音型
39〜41小節のCantus等の``crucior''。短2度の上行下行を含むこの旋律は 拷問の苦しみを表わすものと思われる。
103小節以降の全パートの ``crucior''。最後の審判が下される このシーンで2度7度のぶつかりを多用することで、 異常なまでの緊張感を演出している。
(宮内)
ラッススは語学の天才であるため、どの国の言葉も母国語のように流暢に 表現している。この曲も出版がパリであり、実際フランス ラテン発音に 特徴的な語尾の伸ばしなど随所にその要素が見られる。冒頭の Pater など 固有名詞部分ではその特徴が顕著である。ただ彼の場合、一見すると 場面展開においてその劇的な変化を要求するがために一部音楽表現が 歌詞表現に先行しているように思える部分もある。しかし、その部分も 良く洞察するとフランス人の発音を忠実に守っているのである。 これが彼が語学の天才と言われる所以に違いない。(新郷)