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1410年頃、ベルギー東フランドル付近で生まれたといわれる。 1443年から44年にかけてアントワープの大聖堂で活躍、その後40年にわたって シャルル7世、ルイ11世、シャルル8世と歴代のフランス王に仕える。 1454年には首席礼拝堂司教、1465年には王室礼拝堂楽長の称号を受けた。 晩年にはトゥールのサン・マルタン修道院の財務官に任ぜられ、 1497年この地に没す。生前から「音楽の父」「オルフェウスの再来」と たたえられ、その死に際してはエラスムスやモリネたちも追悼詩を捧げている。
ルネサンス時代を通してヨーロッパの音楽をリードし続けた フランドル楽派 の 最初期を飾る音楽家がオケゲムである。彼は生涯を通じて対位法的な書法を 徹底して追及し続け、ルネサンス版「フーガの技法」と呼ばれる 「ミサ・プロラツィオーヌム」など、非常に高度なポリフォニー技法を 持った曲を残している。各声部すべてが対等な扱いを受けるフランドル楽派 特有の対位法書法の基礎はまさにオケゲムによって確立されたといえる。特定の声部が優先されることなく、それぞれの声部が独自の旋律とリズムを持ち、 それを絡ませながら歌い進めていくうちに全体のクライマックスへと導く オケゲムの手法には不思議な感動を禁じ得ない。オケゲムの手によって 音楽は各声部ごとに解体されてしまったかのような感すらある。
しかし、その後のルネサンス音楽そのものがオケゲムの方向に進んでいった わけではなかった。オケゲムが一度解体した音楽を、声部の対等性は 保ったまま再び一つにまとめ上げる 通模倣様式 と いう書法を ジョスカン・デ・プレ が 確立したからである。
この手法がその後のルネサンス音楽の主流となっていくわけであるが、 当然のことながらそれによってオケゲムの作品の価値が下がる訳では全くない。 今日でもオケゲムの作品は我々に独特の高揚感と感動を与え、 音楽の魅力の多様性をも教えてくれる。
(宮内)