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1440年頃、フランドル地方のフランス語圏に生まれる。若い時代にイタリアに行き、 1459年から72年までミラノの大聖堂聖歌隊の歌手をつとめ、その後ミラノの スフォルツァ家、ローマ教皇カペルラ、枢機卿アスカーニオ・スフォルツァの カペルラなどで活躍する。晩年はコンデの司祭としてフランドルに帰り、 1521年8月27日にこの地に没した。その作品は生前から多くの印刷楽譜によって 広く全ヨーロッパで愛唱されていたが、これはこの時代としては 非常に例外的なことであったという。
デュファイ、 オケゲム と続いたルネサンス音楽の 流れは、ジョスカン・デ・プレの登場によってついにその頂点に到達する ことになる。その音楽語法の中心はジョスカンによって確立された 通模倣様式 で あった。これは、歌詞をいくつかの節に分割してそれぞれの節に動機 (モチーフ)を与え、全声部がその動機を模倣することで曲を構成していく という手法であり、ジョスカン以降のルネサンス音楽の共通の語法となっていった。さらにこの通模倣様式の確立に伴って、明確な旋律や機能的な 和声進行などの新しい要素も加わることになり、ルネサンス音楽の語法は ここに完成を向かえることになったのである。
またこのころから歌詞の内容と音楽が密接な関係を持ち始めるのも 見逃せない要素である。そしてここにこそジョスカンの作品の最大の特徴がある。 例えばグレゴリオ聖歌を 定旋律 と する曲では、歌詞の内容とは本来全く関係のない聖歌のモチーフを全曲を 通じて模倣するように構成されているにもかかわらず、その音楽は歌詞の内容を 見事に表出したものとなっている。これにはただ驚かされるばかりである。
ジョスカンの作品の持つこの構成性と情緒の高度なバランスこそは、 音楽におけるルネサンスの典型と評するにふさわしい。宗教改革者ルターが 「他の音楽家たちは音に支配されているのに対し、ジョスカンのみは音を意のままに 支配する」と評しているのも、ジョスカンのこの側面をとらえてのことであろう。
(宮内)