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1532年頃、南ベルギーのモンスで生まれる。幼い頃からモンスの聖ニコラ大聖堂の 聖歌隊員として活躍、その美声のゆえに三回も力ずくで誘拐されたという。 少年期にイタリアに赴き、シシリー、マントヴァ、ミラノ、ナポリ、 ローマで活躍。1556年に南ドイツのミュンヘンに招かれ、ババリア公 アルブレヒト5世の宮廷カペルラに加わり、数年後には楽長に任じられている。 教皇グレゴリウス13世からは「黄金拍車の騎士」に任ぜられているが、 一生をミュンヘンですごし、 パレストリーナ と同年の1594年6月14日に没する。
16世紀の末期には、150年以上の長きに渡ってヨーロッパの音楽をリードし続けた フランドル楽派 の 音楽も、ついにその終焉を向かえようとしていた。その要因としては イタリアを中心とした劇的な音楽への嗜好の変化や、フランドル地方が スペインからの独立戦争に突入したことなどがあげられる。そのフランドル楽派の最期を飾る巨星がラッススである。彼の音楽書法の中には 当時のヨーロッパのすべての技法が含まれていると言っても過言ではない。 フランドル伝統の 通模倣様式 や、 ヴェネツィアで生まれた 複合唱 の 様式、そしてイタリア・ マドリガーレ に 見られる 音画法 や 半音階法などは、すべてラッススの中に取り込まれて活用されることになる。
そして何よりもラッススの音楽の一番の特徴は言葉と歌詞の結び付きである。 それぞれの言葉の抑揚と意味を同時に反映するモチーフを用い、さらに それを色彩的な和声や複雑なリズムで彩ることで、彼の音楽にはあたかも 歌詞の内容がそのまま目の前で展開されるような劇性がもたらされている。 ラッススの音楽の教会での演奏が禁止されたことがあるのも その強烈な劇的表現力が原因であろう。
このようにラッススの天才的な手腕によってポリフォニー様式の中で 劇的な世界が表現されることになる。しかし逆にそれによって ルネサンス・ポリフォニーがが異質なものに変化してしまった感は否めない。 フランドル楽派最期の巨星は、自らルネサンス音楽の幕引きを行ったとは言えまいか。
(宮内)