M.A.B.の運営形態


音楽への取り組み

M.A.B.には指揮者をしたがるメンバーがいない。 M.A.B.にいる理由がそもそも歌うためだからだ。 ピアニストもいない。 ピアノ付きで練習できる場所がそもそも無いからだ。 指揮者なしで無伴奏男声合唱曲を演奏する, というM.A.B.のスタイルはこうした状況から生まれたといっていい。 しかし一方では, メンバー一人ひとりが主体的に機能する音楽家として作品に取り組む, という意思の現れとなっていることも見逃せない事実である。

このような意思の現れはM.A.B.の練習方法の端々に見られる。 音楽づくりにおいては,各人がどう歌いたいか主張し合う。 それに対して徹底的に議論する。 面白いことだが,M.A.B.は議論するのだ。 議論が歌っている時間よりも長くなることさえある。 歌い,議論し,歌い,議論し,充分満足がいくと, そこには特定人物の音楽性の発露ではない,M.A.B.の音楽が現れてくる。 この快感が,指揮者を持たない合唱団であることを積極的に続けさせているのだ。 指揮者がいないということは, 入り・切り・テンポ等は皆の目と耳だけが頼りである。 練習では円陣を組むように並び,お互いの目や口を見ながら歌う。 この習慣は,全員が最前列という考えと相俟って, ステージ上での独特なフォーメーションとして現れることになる。

一般に練習時間の延長は好ましくないとされるが, 場の雰囲気でいくらでもやり方は変化する。 合宿などで練習が白熱化すると, 時間を延長し満足するまで歌い尽くすこともままある。 M.A.B.には規律を作り出す人もいなければ,必要もないのかもしれない。 性善説に基づいた理想を求める夢見るような集団ではある。


採決手法

M.A.B.はその運営のためにしばしば話し合いの機会を持つ。 M.A.B.独特の気風はそんな場面でも多く見ることができる。 例えば,賛成か反対かの多数決では皆が一斉に手を挙げる。 そのとき,グーは賛成,パーは反対,チョキはどちらでもよいことを意味する。 この方法は「M.A.B.式ジャンケン」と呼ばれ, 自分の意志が他人の票に影響を受けないという意味で理想的である。 また,棄権を積極的に認めていることも, 消極的な意見が決定を大きく左右しないという意味で素晴らしい。

M.A.B.のメンバーは皆論理的な思考を持ち, 理屈の意義を認める一方で,その限界も心得ている。 だから,既存の決定法のルールに捕らわれることがなく, 多数決による決定が後に覆されることもしばしば起こる。 また集団での意思統一を図るときに陥りやすい問題を トレーナー理論と名付けて回避している。 集団の意志を決定する方法という意味では, 常に新しいやり方を試みているようにも見える。


M.A.B.のインターネット利用

電子メール

M.A.B.は東京工業大学という恵まれた環境に誕生したためか, 電子メールの利用は早かった。 1991年 8月 20日にメーリングリストが開設され,以来積極的に利用されている。 そこには旧JUNETのマナー・規則の他は何の規則もなく, M.A.B.とは何の関係のない話題がのぼることもしばしばである。 連絡や議論・親睦・MusicTeXによる楽譜の配布など, 今ではM.A.B.の存在を維持するためには欠かすことのできないものとなった。 一日数通から30通ほどやり取りがあり, 1995年9月末にメールの通し番号は5,000を越えた。

当初は電子メールを利用できる者はごく限られていたため, 職場や大学に電子メール環境の無い者のために NIFTY SERVE 内にホームパーティを開設し, 相互に記事を交換する手法をとった時期もあった。 1992年9月から NIFTY SERVE も電子メール交換が可能になり, 個人向けインターネット・プロバイダが充実してきたこともあって, 活動的なメンバーのほとんど全員がこのメーリングリストに参加できるようになった。 世の中便利になったものである。

年とともにM.A.B.メンバーのほとんどが社会人となり, M.A.B.にかける時間を削減せざるを得なかったり 東京近辺を離れた者もいるが, ネットワーク環境の充実はメンバーに深い精神的結びつきをもたらしている。

通商産業省 工業技術院 電子技術総合研究所の吉村 隆が管理運営を担当している。

World Wide Web

積極的な電子メールの利用と世の中のインターネット注目の中で, M.A.B.の WWW Home Page 開設は当然の成りゆきであった。 演奏活動の広報や対外的な窓口として, またM.A.B.メンバーの新しいインフラとして成長しようとしている。
[ M.A.B. Home Stage] [プロフィール]