(レミファソラシドレ)
「いわゆる短調(近代短旋法)に類似した旋法であるが、 導音のないことがその相違を明確にしている。」教会旋法の中で最もスタンダードといえる旋法で、 落ち着いた安定感のある旋律を作る。「平安の旋法」 という表現はまさに的確といえるだろう。 その反面とりわけ際立った特徴もなく、やや平凡な 印象を受けることもある旋法である。「これは、厳粛、優雅、つつましやか、控えめであるが、 常に平穏、静寂の旋法である。観想の旋法、ともいわれるが、 とりわけ平安の旋法、という評言にふさわしいものである。」
(水嶋良雄著「グレゴリオ聖歌」音楽の友社より)
(ミファソラシドレミ)
「近代調性からもとも遠く隔てられた旋法ということが できよう。この旋法は和声学者をもっとも難渋せしめている。 というのはほとんどの旋法がその終止音を『いわゆる主音』の ごとく考えているのにもかかわらず、この旋法だけは そのように考えられないからである。」近代調性に最も結び付けにくいために、 逆に最もグレゴリオ聖歌らしい印象を受ける旋法である。 終始フワフワしたような独特の甘美な旋律を生み出す。 筆者が個人的に最も好きな旋法でもある。「『天と地の間に浮かびながら停止する旋法』という(中略) 評言はそこからでている。」
「これは、甘美、神聖、恍惚、永遠の旋法である。」
(水嶋良雄著「グレゴリオ聖歌」音楽の友社より)
「ファ->ミ」という上方からの解決を特徴として 持っており、この終止はバロック以降も「フリギア終止」として その面影を残すことになる。
(ファソラシドレミファ)
「『諸音程の配列具合』および『基音の下が半音』という ことから、しばしば近代長調(長旋法)をしのばせる旋法である。 とはいえ、黄金時代のかつての作曲家たちは、 きわめて卓越した諸作品をこの中から作り出している。」引用にある通り、リディア旋法はグレゴリオ聖歌そのもの にとっては重要な旋法のひとつである。しかしルネサンス期の 音楽の中では、旋律的・和声的理由のために 大抵「シ」が「シ−フラット」に変化してしまったために 近代長音階(イオニア旋法)と全く同一になり、 その個性は失われていくことになる。「本旋法による我々の古曲は、流麗、端然、確固たる特徴が あるとともに、軽妙敏速、快活さをあわせ持っている。 爽快、新鮮、すがすがしさを感じさせることもある。」
「各種の多様な感情表現に不足することのない旋法と いうことができよう。」
(水嶋良雄著「グレゴリオ聖歌」音楽の友社より)
(ソラシドレミファソ)
「充分な響きの旋法、大きくひろげられた音程の旋法、 そして特にブールゴオル・デュクードレが評した<超長旋法>である。」基音の「ソ」に対し、その下の「ファ」および その上の「ラ−シ」がすべて全音の間隔で並んでいるために、 非常に明るい開放的な旋律を生み出す。 「超長旋法」とは名言といえよう。「明快・熱烈・感動を表現する旋法、喜悦にみちた飛翔、 熱狂的な飛躍、凱歌にふさわしい躍動的なものを表現しうる旋法であるが、 Lauda Sion の旋法ということは以上の諸特徴のよき象徴である。」
「またとりわけ低い諸音符においては、確信、荘厳にして 断固たる確信を示すものであり、完全で申し分のない喜びの旋法、 要するに、充満、充全の旋法である。」
(水嶋良雄著「グレゴリオ聖歌」音楽の友社より)
(宮内)