1986年1月、第1回東京ヴォーカル・アンサンブル・コンテスト(TVEC)に 出場するため、先の有志が中心となって参加者を集めた。 このとき初めて東京工業大学M.A.B.男声合唱団と名乗り、事実上の創立となる。 以後、機会ある度に演奏を披露する場を設けるが、 1987年2月、第2回TVECを最後に解散、活動を停止する。
1988年12月,コール・クライネスのクリスマス・コンパのおりに 多田武彦の「年の別れ」を演奏するために、旧M.A.B.のメンバーが 中心となって、一時的な男声合唱団を編成する(この曲は幻の第1回 定演で予定されていた演目だった)。 この時は東京工業大学U.M.A.B.シニア・コアを名乗る。UはUndeadの 略である。
1989年2月、メンバーの一部が卒業するということもあり、 これが最後ということで、第4回TVECに出場。ここで満足度の高い演 奏ができたことから、M.A.B.を継続したいという意志がメンバーに 見られるようになる。このステージが、そのまま消えてなくなるはず だったM.A.B.を現在へつなげたターニングポイントであった。
1989年5月、メンバーの一部からの呼び掛けに他のメンバーが応じる 形でM.A.B.は一般合唱団として再結成された。 メンバーの一部が社会人となったこともあり、これまで名称に冠し ていた「東京工業大学」を取り去り、M.A.B.男声合唱団として 東京都合唱連盟に加盟。新たな活動を開始する。 以来、各種コンクール、合唱祭への参加の他、 東京芸術劇場のオープニングイベントでの招待演奏、 新作合唱曲のレコーディング等の活動を行う。 また,1991年には演奏会``OtherTimesOtherManners''をおこない、 合唱の演奏会の新しいスタイルを提示して話題をよんだ。
数々のステージを経験しながら、1996年についに 創立10周年をむかえるにいたった。これを記念して 「創立10周年記念連続演奏会」 と称する4回にわたる小演奏会シリーズを行ない、今までの 活動を振り返るとともに、それまでのM.A.B.になかった新しい 方向性を模索した。
これまでに、東京都合唱連盟主催の東京ヴォーカルアン サンブルコンテスト(TVEC)において、金賞1回、銀賞5回、 銅賞5回受賞、東京都合唱コンクール一般の部Aにおいて 銀賞2回、銅賞2回受賞。